どうでもいいこと。

 それにしても、「これまでがそうだったから考えたことがなかった」っていう人が、「世の中には色々な考えがあるんだなぁ」って考えず「そんなことあり得ない」っていう風に思うのは不思議だなぁ、というかそれが一般的なのか。
 わてなんかは「いただきます」の意味、なんかを小学校くらいの時に考えて折り合い付けてたんだけど、ほとんどの人は、親や教師から教わったらそれを鵜呑みにして、絶対的にいいもの、って考えてるんだろうか。
 いや、違うか……単純に、自分の価値観を批判されると、価値観や批判について評価する前にまず批判そのものを拒絶するものなのかもしれない。だから反射的に否定してしまうという。実際にはそんな白黒つくような話ではないし、もう少し中立的に見られると思うんだけど。というかそういう時は、批判に対して拒絶する自分を客観的に見られない?


 あともうひとつ。
 こういう話題に対して、どこまでコンテキストを考慮するのか、っていうのがもしかして様々な意見を理解する上で重要なのかも。
 たとえば、わての場合この記事の内容は「いただきますの意味」という部分を抜き出して考慮するわけだけど、他の人の日記を見ると「母親の極論」を中心に見ているような気がする。つまり「母親が変なことを言った、馬鹿だ」っていう気持ちがまず先にあって、その元になっている部分については攻撃するための理由付けのような。
 「物事の本質はそこじゃないだろ、一個人の発言にそこまでこだわってどうするんだ」という気がするんだけど、でも人に触れるのは本質ではなく表層であり、表層に対して反応することの方が普通なのかも。いやそれとも、本質は全然関係なくて、さっき書いた「批判に対するカウンター」が発動した場合、相手が人間でないと攻撃できないからか?
 こういうとこ理解して漫画や小説に反映していかないと、リアルなもの書けないからなぁ……。