あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 第11話「あの夏に咲く花」(終)
花火を打ち上げたあともまだ「成仏」しないめんま、その理由をめいめいは思い思いに語る――。
最終回。
すごいわ、最高だわ……。
まずとにかく、作画と演出は文句なく最高。
まったく崩れず、リアル寄りでありながら漫画的であり、普通そうでいて個性的で表情豊かな作画。
毎回毎回、泣けるシリアスな内容にも関わらず、笑えて、楽しめる、素晴らしいエンターテイメントを見せてくれた演出。
最終回の最後10分とかもうすごすぎ。絵の見せ方とか音楽のかぶせ方とか完璧だわ。作画と演出最高、これはもう文句なく。
で、話の方はというと。
ものっすごく、危うかったと思う。見た目ほど単純で感動的な話じゃなくて、ほんのちょっとバランスが崩れていたらかなり嫌いな作品になっていてもおかしくなかった……。
人間は、死んだら生き返らない。
人間は、死んだら思考を失う。
このルールが適用される限り、人間の世界は死に得で、生者は死者が遺した呪いに縛られ続ける。
死に得だからこそ、死を忌避し、忌み嫌い、ないものとし、見ず、そして美化する。呪いなどそこに存在するはずがなく、死者は崇められる。
じんたんは、あなるは、つるこは、ゆきあつは、そしてぽっぽは、めんまが現れるまで、めんまが遺した呪いを、それを呪いであると言うことさえ許されず、縛られ続けてきた。めんまの母が言ったように、死者を冒涜することは許されず、そのために5人は許されない。
だが、めんまはルールを破り、5人の前に現れた。死者という神の位置から、生者と同じ高さに降りてきたことで、神の遺物を呪いであると告発することを許され、5人は気持ちを吐露して号泣した。
そしてそれこそが、めんまの願いだった。
とりあえず、これは危ういなぁと思う。自分は賛同するけど。
現実では、このルールはけして覆らないわけで、覆られないにも関わらずその代弁をしてしまうのは……。まぁこれはじんたんの母の願いであったわけで、死にゆく者の願いとしては現実的だから、そう考えれば問題ないんだろうけど。
あと自分が引っかかるのは、やっぱりなんていうか、じんたんとめんまがくっついて幸せになる展開が見たかったなぁと。
5人からめんまが見えて聞こえたことで、そこに存在していたことが明確になったにも関わらず、なんとなくじんたんの言動が、めんまが成仏したことを乗り越えていこう的な感じがして、ちょっといやだなぁと。特に最後、めんまがあんなこと言うと……やっぱりあのあと幸せになって欲しいなぁ。
生き返らず、恐らく転生もせず、綺麗なまま結局死んでしまったことで、確かに感動的な終わり方だったんだけど、だからこそちょっと寂しいというか……。
というか、本作のテーマが前述したように「死者を乗り越える」ことで、タイトルもそういう意図なわけで、でも確かにそこにいためんまが、まるである夏の日に見た幻想のように、少年達が過去を乗り越えるためだけに現れた存在だった、という扱いは寂しいなぁ。じんたん達は確かに成長した、でもそれは確かにそこにいためんまのおかげで、それこそ……このめんまに、新たな呪いを掛けられてもいいんじゃないかと。
そう感じさせるほどに、めんまはかわいかった。本作が成り立っていたのは、めんまが誰よりもかわいく、そして誰よりも純粋だったからなわけで、それがちゃんと表現されていた。
本作のキャラはみんな良かった。あなるもつるこもかわいかった。あなるは、一見軽そうに見えてとても繊細な女の子していたし、つるこは、冷静で理性的に見えて利己的で一生懸命な普通の女の子していた。
というか、本作のテーマ的にどのキャラも二面性を持っていて、それがとても人間らしく感じられて、魅力的だった。めんまの呪いを受けながらもそれを隠さざるを得ず、そのためにそれぞれの方向で大人らしく振る舞わされてきた5人が、めんまによってずっと抱えてきた気持ちを告白し、それによって本当の大人になる……。それを描ききりながら、どのキャラもいやらしくなくとてもかわいくかっこよく描かれていたのがすごいわ。
かなりデリケートな危ういストーリーを、最高の絵と楽しめる演出と素晴らしいキャラクターによって完璧に描ききった、それが本作なんだと思う。
現実に、めんまはいない。だから、多くの大人達は、本作のキャラ達と同じように、間違った方向で大人になった。
そういった大人達への、最高の物語でした。