作品を批判すること

 わてはコメント欄のaaaaさんの考えが一番近いかもしれん(爆)。


 この手の話でいつも例に出すのは、成人物に対する批判。
 男性向け成人物、特にハードなものなんて、人類の半分以上を敵に回すような内容って場合も多々あるわけで、それだけの批判があっても「好きなものは好き」を貫けなきゃ好きとは言えない、と思うのですよ。
 ErogameScape−エロゲー批評空間−フレーミングとか見ると、結局は「自分の『好き』という気持ちを否定するな」というところに尽きるよーな。言い換えると「自分の『好き』という気持ちをセカイが受け入れて欲しい」のではないかなと。でもその「好き」は本当の好き? ラヴ? あなたは自分の妻が犯罪を犯しても愛し続けることができますか?
 まぁこれは極端な例だけど、それでも、世間的にどんなに評価されているものであっても、最低でも3分の1の人間は「嫌っている」と思って間違いないと思う。ヒットした商品ほど嫌いな人が多い、っていう話もあるし。どんなに「いいもの」を作っても、絶対数として多くの人間がそれを「わるいもの」と認識している以上、本当の意味での「いいもの」や「わるいもの」が存在しないことは当然なわけで。
 ネットっていうのは、「人類3分の1の『嫌い』という声」が耳に届く可能性があるインフラなのではないかなと思う。それがどちらかに偏って見えた時に、「世間的」に「わるいもの」という評価が生まれる、ただそれだけのことではないかなと。逆に言えば「いい」という評価が多数あったからといって、それは単に「世間的」に「いいもの」という認識が生まれるだけで、それが真に「いいもの」ではないわけで。
 わての作風なんかもかなり読む人を選ぶらしく、大きな瞳で鼻がないと人どころか異形に見えるらしい(爆)。でもわてが好きな絵柄なわけで、たとえ人類の9割を敵に回しても描き続ける。まぁそこまで思うのは珍しいかもしれないけど、クリエイターっていうのはそういうもんではないかなと。
 というわけで、わては人を選ぶ作品を創り続けます(爆)。